海からの贈り物で「素のじぶん」に戻る

10年前の冬のある日、季節はずれの海で、
わたしは久しぶりに独りの時間を味わっていた。

塩辛い匂い、
寄せて返す波の音、
冷たい潮風が肌に突き刺さる感じ……

そのすべてが「わたしは生きている」と再確認させてくれる。

何もしなくても、素のままで良いんだ、
と思えること。
「今・ここ」に在る幸せに気づく。

 

当時、夫の海外赴任のため
わたしたち家族はシンガポールに住みはじめて数年経った頃だった。

慣れない土地で子供たち3人を育てながら
自分の居場所を作ろうともがいた
2〜3年があっという間に過ぎ
始めた仕事もちょうど軌道に乗ってきたある年、
婦人科系の病気で手術を受けることになり、
すべてが中途半端になってしまった。

「気持ちの整理をして、ものごとをリセットする意味でも、日本に一時帰国しておいでよ」

月のうち3週間は出張で家を空け
文字通りアジア諸国を飛び回っていた夫からの、
思いがけない言葉。

子どもたちの面倒を引き受けるからと
夫が快く送り出してくれたのも
意外ではあったが、心の底から嬉しかった。

 

そもそも
この冬の海への里帰りが実現したのは
不思議な出会いがきっかけである。

術後すぐのころ、初対面の人に
「あなたを見てると海が背後に感じられる」と
告げられたのをいいことに、
まだ小さかった子供たちを夫に頼んで
初めて日本の実家に里帰りを即決したのだった。

身体がまだ辛く
気持ちの上でも落ち込んでいる時だったので
そう言われてびっくりした。

これは故郷の太平洋の海に戻らなければ
と啓示を受けたかのように感じた。

もちろん病気のあとだから
心細くなり遠く離れた両親に会いたかったことも確かなのだが、

常夏の国で暮らしていると
日本の季節感が恋しくなるもの。
久しぶりに冬の海が無性に見たくなったのも、
事実だったといえる。

しかしそれ以上に、わたしは
「素のじぶん」に戻れる場所として
故郷の海を全身で味わいたかったのかもしれない。

 

 

母となって初めての独り旅がこうして実現し
冬の海をぼーっと眺めながら
波の音を聴いていたら、
子供の頃の記憶が浮きあがってきた。

夏の早朝は桜貝を見つけるため、
まだ足跡のない、まっさらな砂浜を裸足で歩く。

子供時代の遊びが懐かしい。
たとえば、大波小波。
波打ち際まで走っていき、波に捕まらないようにギリギリまで行けるかを友達と競う。

秋の海水浴場は
都会からの日帰り客が途絶えて、穏やかな顔を取り戻す。

そして荒涼とした冬の波
春の長閑な陽だまりの砂浜などは
地元の人間だけが知る楽しみかもしれない。

海辺育ちの身としては、
オフシーズンの海のほうが懐かしいもの。

よそ行きの顔ではなく
季節はずれ海のほうが
すっぴんだから親しみが湧く。

波音のリズムに身を任せると
心配や悩み事のなかった子供時代の幸せな記憶が戻ってくる。

父は、歳とともに丸くなったものの、わたしが子供の頃はサラリーマンとして忙しく、子煩悩ではあるけど、怒りっぽく短気な人だった。

母は逆に、すごーくおっとり、のんびりしている人で、家事能力に欠ける反面、幼稚園の先生という仕事を生きがいにしている人だった。

両極端で、まったく完璧な両親ではなかったけれども、それぞれのやり方で愛情いっぱいに育ててくれたと思う。それは今思えば、ほんとうに幸福な子供時代だった。月並みな言い方だけど、人の親になって初めて分かる両親の有り難さなのだ。

 

病気の宣告を受けた瞬間に浮かんだのは
「幼い子どもたちを残して死ねない」
という言葉だった。

 

今・ここにじぶんが居ることが、
目の前のすべてのものが、
たくさんの奇跡を重ねた結果であるという
「有り難さ」を、わたしは冬の海で再確認していた。

 
名エッセイ「海からの贈り物」

名エッセイ「海からの贈り物」

 

 

海は仕事をするところではない。
読んだり書いたり、
ましてや考えることもビーチでは難しい

といったのは「海からの贈り物」の著者アン・リンドバーグ。

たしかに、海は思考することよりも、
想い出したり、感じたりするのに
ふさわしい場所だと思う。

 

なにより海辺では、
ぼーっと過ごすこと、
何もしないことが公然と認められる。

五感をフルに使って全身で、
風を
太陽を
波の音を
潮の香りを

味わうことが
「正しい」海辺での過ごし方なのだから。

「あれを片付けよう、これもしなきゃ」という大人の事情や効率優先の日常生活を、しばし離れて「素のじぶん」に戻れる場所が海なのである。

 

太古の昔、生命を産み落としてくれたのが海。

命のつながりに想いを馳せると
海とは多くの人にとって、
生命力を充電するチャージャーなのだ。

 

だから
寂しいとき、辛い時、人生の節目ごとに海が見たくなる。

 

いや、わたしにとっては、
もっと切実な感覚だ。


海を身体で味わいたくて
理屈ではなく、
いても立ってもいられなくなるのだ。

 

そして日常生活に帰ったときに
前よりもパワーアップした
「素のじぶん」になれる。

そんな風に
あるがままの状態に戻ってこられるのが、
海からの贈り物だと思う。

 


そして、あなたにとって
「素のじぶん」に戻れる場所はどこだろう。

コロナ禍で遠出のできない今年こそ
近場でエネルギーチャージできる場所にでかけてみては?

それは、地元の山かもしれないし、
いちどだけ訪れた街かもしれない。

目に見えないバーチャルな場所や
迎え入れてくれる仲間という可能性もある。

 

夏の終りに考えてみてほしい。

この記事が参考になったら