新しい自分に変わるために必要なこととは?〜アイデンティティ進化の旅〜

ベルリンで「アイデンティティの進化」についての研修に参加

ベルリンで4日間の研修に参加し、
後半は夫が合流して週末には観光も愉しむことができました。

アメリカ人の師匠は初めての訪欧でしたので
ヨーロッパ各地に住むヘルスコーチ仲間が集まりましたよ。

で、研修のメインテーマは、ズバリ

「アイデンティティの進化」

いかに古い行動パターンを、新しいやり方に変えて
それにより新しいアイデンティを創るか?


参加者同士の密度の濃〜いワークが連日続き
心理的にも深い4日間のトレーニングはとてもエキサイティング!

アタマで理解するというより、
カラダで体験した気づきがたくさんあり
1週間後の今でも消化し切れないほど盛り沢山な4日間でした。

ベルリンの壁崩壊30年目に考えたこと

ところで今年2019年は
「ベルリンの壁」が崩れて30年という節目の年なのです。

東西ベルリンが分断されていたころ
共産主義の東ドイツに
離れ小島として存在したのが
資本主義世界の西ベルリン。


壁で分断されてしまった
親戚や家族・友人も多かったと聞きます。

当時の西ベルリンは2重の壁でグルリと囲まれていて、
東から豊かな西側へと
無断で壁を乗り越えようものなら、
マシンガンで打たれて即死!

私にとってベルリンは2回めで
前回は壁崩壊の半年後でした。


1990年春、まだ壁の残骸は街なかに放置されていて
西側の普通の町並みに比べると
東ベルリンは、まるで異国。

走る車、人々の服装も、町並みも
まだまだ共産主義の頃のままで
かなり殺風景だった記憶があります。


それが、今では旧東側の街のほうが
アーティスティックでヒップとなり
流行の波に乗っているようで

ギャラリーやレストランなど
新しいおしゃれなお店がいっぱいです。


お店などをひやかしながら市内を歩いていると、
かつて壁が会ったところに
鉄の支柱がオブジェとして残されていたり

街なかの地面には
写真のような文字が刻まれていたりします。

「ベルリンの壁 1961-1989」と読める側が、旧西ベルリンだったそう

「ベルリンの壁 1961-1989」と読める側が、旧西ベルリンだったそう

これは、街の歴史を忘れないようにと
東西ベルリンを分け隔てていたところに
レンガで印を残し
人々を分断していた壁があった年号を刻んでいるのです。


そして冷戦時代、
2重の壁と壁の間には
東でも西でもないエリアがあったとか。


その幅は10〜50メートル程と
場所によって異なるもものの
まさに、No Man’s Land〜

「こちら側」でもなく「向こう側」でもなく

「こちら側」でもなく
「向こう側」でもないという
真空地帯が

研修中のわたし自身の気持ちや
ヘルスコーチングのクライアントさんの
感情の揺れと、重なります。


なぜかといえば
今回の研修に参加して、わたし自身
ワクワクと不安の間で
揺れ動く感情を体験していたから。


身体の感覚で説明しましょう。


「こうなりたい」と思い描く
べストの自分像を身体で感じると

それは、身体が
少し大きくなって成長した感覚なのです。


でも、
これまでの古い行動パターンの自分に戻ると
自信がなくて、小さくなってしまう感じ。


つまり


「これまでの古い自分」と「近未来の新しい自分」の間で
「ここ」でもなく「向こう」でもない

不安定な感覚。

可能性とともに大きく拡がる感じ
 と
怖くて小さくなる感じ

が交互にやってきて
胸がウズウズします。


ベルリンの壁に思いを馳せると
「これまでの古い自分」と「新しいアイデンティティ」の間で

まだ迷っている
揺れている

わたしたちの象徴とさえ思えます。


新しい自分に変わるのが難しいのはなぜか

新しい行動を取りたいのに
難しいのはなぜでしょう?

それは、
これまでの古いパターンと新しいパターン

その移り変わりという
変化そのものが、
不安定で居心地が悪いからです。

とくに周りの人間は、
わたしたちの過去の行動から判断して
反応してきますしね。

ヘルスコーチングでは
行動を変えることで、
近未来の自己アイデンティティを形作っていきます。


小さな行動の積み重ねが
自己イメージも
そして周りの人から見た自分像をも、
変えていくのです。


恥ずかしながら
たとえば、わたしたち夫婦の例です。


この週末旅行で、
どこを観光するか決める際に
コミュニケーションの誤解がありました。

夫は
自分の意見が頭から否定されたと思ったものの
ぐっと飲み込んで、我慢。

その場では、
その異和感を口に出さずに
わたしの主張を受け入れてくれたそう。


翌日の午後、
炎天下を歩きながら観光中に
へそを曲げていた夫の様子がおかしいと思い、
よく聞いてみたら

わたしが、彼の言ったことを
間違えて解釈していたことがわかりました。


互いに誤解していたのですが、
ふたりとも誤解に気づかず
前日の時点でしっかり話し合いができていれば…と悔やみました。


これは単なる夫婦間のコミュニケーション不足で
お互いの希望のすり合わせが
できなかったエピソードです。


国際結婚夫婦の私たち
こんな行き違いは
これまでも何回も起こってるんだろうな…

と思うと
ちょっと悲しくなりました。

が、

もっと深い問題がここに隠されている
このまま見逃してはいけない

と、このときに勇気を出して
これまでの私にはなかった
新しい行動パターンを選びました。

「ネイティブでないわたしは
英語の表現力や理解力が追いつかないことも多々ある。

おかしいと思ったら、
我慢せず、諦めもせず
その場で、お互いの想いを確かめて欲しいな。

きちんとした話し合いもなく
諦めて妥協してしまうとモヤモヤが残るから

それに、
次回こういうことがあったとき


変だな?
ムカつくこと言ってる?

と感じたときは、
きちんと言葉にして質問してね。

すぐ諦めずに
あなたにとって、なぜそれが大事なのか
わかるまで説明してほしい」

と伝えたことです。

本心を伝えることは怖かったけど、
これを夫に言葉にできた自分に
ちょっぴり自信が持てました。

こんな新しい行動パターンを取れたのも
4日間のトレーニングのおかげですね♪


習慣を変えるための環境をデザインする

慣れなくて居心地が悪くても
新しい行動を取れるようにしていくこと。

そのための環境を整えるのが
自分を変えるためには大前提です。

環境を整えて
新しい習慣を身につける

その過程において、MarikoYogaとして
ヘルスコーチングでお手伝いをさせていただきます。

「いかに古い行動パターンを、
新しいやり方に変えて
それにより新しいアイデンティを創るか?」

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   ↑↑↑

こちら、ドイツの国会議事堂が
まるでアイデンティティの進化そのもの! なんです。


戦争で破壊された議事堂の再生プロジェクトは
イギリス人建築家ノーマン・フォスターが担当しました。

オリジナルの外壁と四隅の塔のみを残し
破壊されたドームの代わりに
ガラスドームや近代的な内装をデザイン

まったく新しい建物としてよみがえったのが1999年。

東西ドイツの再統一を象徴する
ランドマークとして生まれ変わったのです。

次のステージに行くために

次のステージに行くためには、
まず古いアイデンティティを壊し、
新しい自分を創ること。

ドイツ国会議事堂のガラスドームに登り
その空間を夫婦で体験できたこと自体が

わたし達ひとりひとりが、
生まれ変われる可能性を秘めている…

その象徴のように感じました。


4日間のヨガヘルスコーチ・トレーニングが
わたし自身にとっても
まさに、古い自分を壊し、
近未来の自分を創る行動になりそうです。


そして、この学びを
クライアントさんや生徒さんとともに

ちょっぴりの
緊張を含むワクワク感をもって、
次のステージに活かす決意を固めました。

さて、
あなたが次のステージに行くためには
何が必要ですか?

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