いのちを大切にする

毎年8月6日の広島デーに思い出すことがあります。

大学生のころ、仲間たちと2回広島に行きました。それも原爆記念日に。



当時はまだ、子供の頃、またはお母さんのお腹の中で、

被曝を体験した方が何人もいらしたのです。

ご自分の体験を平和の語り部としてお話してくださる会がありました。


わたしは小中高校と、それまで本やニュースなどで見聞きしていた戦争体験とか、

原爆の凄まじい被害などは、子ども心にも真摯に受け止めていました。


また、「はだしのゲン」をいう漫画が

恐いながらも知っておくべきことのような気がして

図書館で借りて読んでいました。


だから、二十歳そこで、広島出身の友人に誘われてヒロシマデー、

つまり原爆の落ちた日に足を運んでみる気持ちになったのです。



豊かな智慧をもつ生身の人間が、

お歳を重ねて、考えて、想ってきたことを

想像を絶する状況を体験したことを

じぶんの目の前で話している…


これほど心を揺さぶることはありません。


直にお話を車座になってうかがうとは、

ニュースや本で、小ぎれいにまとめられた情報とはまったく違います。


編集されていない

そのままの声を聞くことが

わたしの心に大きな覚悟を刻みました。



それは命の大切さ

   。。。 

  

そして戦争の無意味さ

   。。。 


合法的に人を殺すことが許されるという仕組み

   。。。 

その仕組が生み出す、怒りの吐出し口もないような状況


   。。。 

なんて理不尽なんだろうと思います。


そして理由はなんだろうと

人を殺すこと

戦争は絶対にあってはいけないことだと


理屈でなく身体の感覚でココロに刻みつけたものです。



それから数十年後のいま、


被曝と病気ではまったくレベル/ことの大きさが違いますが

やはり命の大切さという面については

共通点があるように感じます。


大病をしたとき

人生で大きな試練や転機を迎えたとき

それまで当たり前だと思っていた命や健康

それを見直すきっかけになります。


「今・ここ」に

生きていること

生かされていることの


有り難さ


漢字の語源どおり


生命とは、まさに奇跡のようなことなのですよね。


たとえ、たった今、辛く悲しく、耐え難い状況だとしても

生きている限り、私たちは、変わることができます。


これまでとは、違う道を選ぶ可能性があります。


その想いを同じくする人が、増えて、繋がれば

命を大切にする社会

みんなが生きやすくなる社会ができると信じています。

そして、次の一歩を選ぶのは

誰でもない、じぶん自身なんだ


と改めて、終戦記念日に確認したくて、この記事を書きました。



調べると、いまも活動を続けておられるようです

原爆の語り部 被爆体験者の証言の会

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